FXとオイルマネー

チリ革命とピノチェト時代 サルバドール・アジェンデ博士 アウグスト・ピノチェト将軍1964年にキリスト教民主党のエドゥアルド・フレイが人民行動戦線のサルバドール・アジェンデを破って大統領に就任した。「自由の中の革命」を唱えたフレイは「銅山のチリ化」や、農地改革を行った。「銅山のチリ化」、農地改革は共に不徹底なものに終わったが、政治における民衆動員は、1970年の大統領選挙における階級対立の図式を整えることとなった。 1970年の大統領選挙により、人民連合のアジェンデ大統領を首班とする社会主義政権が誕生した。これは世界初の民主的選挙によって成立した社会主義政権であった。アジェンデは帝国主義による従属からの独立と、自主外交を掲げ、第三世界との外交関係の多様化、キューバ革命以来断絶していたキューバとの国交回復、同時期にペルー革命を進めていたペルーのベラスコ政権との友好関係確立などにはじまり、鉱山や外国企業の国有化、農地改革による封建的大土地所有制の解体などの特筆すべき改革を行ったが、 しかし、ポプリスモ的な経済政策は外貨を使い果たしてハイパーインフレを招き、また、西半球に第二のキューバが生まれることを恐れていたアメリカ合衆国はCIAを使って右翼にスト、デモを引き起こさせるなどの工作をすると、チリ経済は大混乱に陥り、物資不足から政権への信頼が揺らぐようになった。さらに、極左派はアジェンデを見限って工場の占拠などの実力行使に出るようになる。 こうした社会的混乱の中で1973年9月11日、アメリカ合衆国の後援を受けたアウグスト・ピノチェト将軍らの軍事評議会がクーデターを起こしてモネダ宮殿を攻撃すると、降伏を拒否したアジェンデは死亡し、1974年にピノチェトは自らを首班とする軍事独裁体制を敷いた。 このピノチェト軍政の治安維持は苛烈を極め、コンドル作戦(汚い戦争)により、人民連合派をはじめとする多くの反体制派の市民が弾圧され後の政府公式発表によれば約3,000人、人権団体の調査によれば約30,000人のチリ人が殺害され、数十万人が各地に建設された強制収容所に送られ、国民の1/10に当たる100万人が国外亡命し、失業率22%、さらには国民の1/4のGNPが「全く」なくなるという異常事態を招きながらも、軍事政権はミルトン・フリードマンらのシカゴ学派に基づく新自由主義経済政策を「教科書通り」に導入し、工業の崩壊と失業の増加を背景にして経済全体を拡大し、「チリの奇跡」と呼ばれる経済成長を実現した。また、インフレ率は約80%の高水準で推移していたもの、同時期にコロンビアとベネスエラを除く南米全体を襲っていたハイパーインフレの危機も乗り切った。 しかし、アルゼンチン(1982年)や、ウルグアイ(1985年)、ブラジル(1985年)と周辺国が民主化する中で、一向に権力から離れず人権侵害を行うピノチェト軍事政権は国際的な批判を呼び、1988年のピノチェト信認選挙で敗北すると、1989年12月に行われた選挙で、保守で反ピノチェト派の民主主義を求める政党連合=キリスト教民主党のパトリシオ・エイルウィンが僅差でピノチェト派の候補に勝利したことにより、1990年、チリは17年ぶりに民主的な文民政権に民政移管することになった。 [編集] 民政移管以降 ミシェル・バチェレ民政移管後、ピノチェト将軍を始めとする、軍政期に人権侵害に携わった軍人の処遇などの複雑な問題を抱えながら新政権はスタートし、結局ピノチェトは陸軍最高司令官として留任することになった。 1990年に就任したエイルウィンの政策は基本的には軍政期からの新自由主義を継承するものであったが、市場原理主義の修正を図り、軍政期に拡大した所得格差や貧困問題解決への取り組みも進んだ。 1994年には再びキリスト教民主党からエドゥアルド・フレイが大統領に就任した。フレイ時代の1998年2月にピノチェト陸軍総司令官が退役したが、ピノチェトには終身上院議員の議席が確保された。しかし、同年10月、軍政期に在チリスペイン人へ人権侵害を行ったことを理由に、スペインの要請によりイギリスに滞在していたピノチェトは逮捕され、外交問題となった。 2000年にはコンセルタシオン・デモクラシア=チリ社会党からアジェンデ以来二人目の大統領としてリカルド・ラゴスが大統領に就任し、チリ経済の成長が進んだ。1990年から2000年までのGDP成長率は平均約6.6%であり、軍政期(1973年から1990年)の平均の3.70%を上回った。 2006年には再びコンセルタシオン・デモクラシア=チリ社会党から、同国初の女性大統領、ミシェル・バチェレが就任した。 チリ最高裁判所は、2006年8月18日、公金横領容疑でピノチェト元大統領の免責特権剥奪を決定した。ピノチェトが家族や側近名義で米リッグス銀行など複数の銀行に合計125以上の口座を保有し、約2700万ドルの不正資金を隠匿していたとされる疑惑による。 [編集] 政治 詳細はチリの政治を参照 2004年現在のチリ憲法は、アウグスト・ピノチェトを最高権力者とする軍政下に制定された1980年憲法である。特徴としては、大統領の権力が強められ、また国政への軍の最高司令官の参加が制度化された。しかし、1988年のピノチェト大統領の信任を問う国民投票に敗北した後、憲法に対して大統領の権力を弱め、軍部の発言力を抑えるような修正がなされた。憲法の民主的な改正に関する議論は現在も継続されている。 政治制度は、三権分立を旨とする議会制民主主義である。行政は大統領を長とする。大統領は6年任期で選挙により選ばれる。2期連続で就任することはできない。内閣の閣僚は大統領が任命する。2008年現在の大統領は、2006年1月15日に就任した社会党のミシェル・バチェレ。バチェレはチリ史上初の女性大統領である。 司法の最高機関は最高裁判所である。憲法に関する判断は、憲法裁判所が行い、憲法に反すると考えられた法律を差し止めることができる。 立法は、二院制である。上院は38名が一般投票により選出され、任期は8年、その他に国家安全保障委員会や司法機関、共和国大統領、前大統領などが11名を任命する。下院は120議席で、任期は4年。法案が採択されるには、両院および拒否権を持つ共和国大統領の承認を得なければならない。また両者ともに法案を提議することができるが、これを施行する権限は大統領にしかない点が問題とされている。 チリにも公権力の腐敗・汚職がないわけではないが、それは恒常的なものではなく、世界の「透明度」の高い国の上位30ヶ国以内に過去10年間連続してランク付けされているように、むしろラテンアメリカでは最も腐敗しておらず、比較的しっかりした法治国家だと認識されている。 [編集] 国際関係 詳細はチリの国際関係を参照 民政移管した1990年以来、チリは国際的孤立から復活した。2007年からチリは他の4カ国と共にOECDの公式加盟国になることを打診している。 軍政期の1983年に、長年敵対と緊張関係の続いており、何度も戦争直前にまで陥った隣国アルゼンチンが、ラウル・アルフォンシン政権の下でチリとの歴史的な和解を進めると、パタゴニアを巡ってのチリの領土問題は解決した。また、太平洋以来続いたペルーとの緊張も収まりつつある。しかし、太平洋戦争で併合したアントファガスタを返還するように求めるボリビアとの緊張は未だに続いている。 [編集] 地方行政区分 詳細はチリの地方行政区分を参照 チリは、州監督官(Intendente)を長とする13の州(Region)に分けられる。州はさらに幾つかの県(Provincia)に分割され、それぞれに県知事(Gobernador provincial)が置かれる。県はさらに市町村(Comunas)に分けられ、市(町、村)長がいる。監督官と知事は大統領により任命され、市(町、村)長は一般投票により選ばれる。 各州は名前とローマ数字により識別される。ローマ数字は北から南の順に割り当てられている。一般的には州名よりローマ数字の方が用いられている。唯一の例外は首都サンティアゴが位置している州で、首都州(Region Metropolitana)を意味するRM二文字で表されている。 [編集] 地理 詳細はチリの地理を参照 外為・南アフリカランド パリナコータ火山 ビーグル水道の氷河気候は幅広く、太平洋上に浮かぶラパ・ヌイ島(パスクア島、イースター島)の亜熱帯から、国土の北三分の一を占め、世界で最も乾燥した砂漠とされるアタカマ砂漠、中央部の肥沃な渓谷地域、そして元々は森林に覆われていた、湿度は高いが寒い南部、ツンドラ気候が広がる最南部のパタゴニア地方に大きく分けられる。渓谷地域は地中海性気候であり、チリの主要輸出品目の一つであるブドウなどの果物の栽培や、最近輸出量が増えてきたワインの生産に適している。 南緯40度以南はパタゴニアと呼ばれ、沿海部は典型的なフィヨルド地形が形成されている。 チリの対蹠地は北・中部が中華人民共和国、南部はモンゴル国、最南部はロシアのシベリアである。 先物取引 [編集] 気候 チリは南北に大変長細い国であるため、北の方から順に砂漠気候、ステップ気候、地中海性気候、西岸海洋性気候、ツンドラ気候と気候が違っている。 [編集] 時間帯 チリ本土ではUTC-4(サマータイム実施時はUTC-3)だが、パスクア島ではUTC-6(サマータイム実施時はUTC-5)となる。 [編集] 軍事 詳細はチリ軍を参照 FX チリ海軍のフリゲート艦アルミランテ・ブランコ・エンカラダ (FF-15)チリの大統領は軍隊の指揮権を有し、軍は国防相と大統領の統制を受けている。また、チリでは徴兵制が実施され、国民は二年間の兵役の義務を有している。陸海空三軍の他に憲兵(カラビネーロス)が存在し、規模は30,000人ほどである。また、チリはブラジルに続いて南アメリカで二番目に大きな軍事予算を組んでいる。 伝統的にチリの軍隊は、「軍は憲法の番人である」として、他のラテンアメリカ諸国よりは政治に介入する頻度は比較的大きくなかったが、この原則は1973年のピノチェト将軍らによるチリ・クーデターにより崩された。その後軍政期に軍はコンドル作戦や、「汚い戦争」などを遂行し、自国民や、近隣諸国の反体制派市民の拷問、殺害に携わったが、1990年の民政移管後は、それなりの規模と発言力を保ちながら国民との和解が進められた。 FX [編集] 陸軍 チリ陸軍は兵員45,000人を有し、サンティアゴに司令部がある。7つの軍管区に分けられ、ランカグアに飛行旅団が、コリナに特殊部隊の司令部がある。チリ陸軍はラテンアメリカでも最も整備され、専門的かつ技術革新の進んだ軍隊の一つである。 [編集] 海軍 チリ海軍は海兵隊2,300人を含む兵員23,000人を有している。艦隊の母港はバルパライソにある。 [編集] 空軍 チリ空軍は兵員12,500人を有し、それぞれイキケ、アントファガスタ、サンティアゴ、プエルト・モント、プンタ・アレーナスに五つの飛行旅団を置いている。空軍は南極のキング・ジョージ島の基地でも活動している。2006年にF-16が14機、2007年にも14機導入された。 なお空軍は、軍政期は警察とともに反軍政派だった。